
息子が、ジャカルタでインターナショナルスクールに通えている。
これだけ書くと、
「すごいね」「順応力あるね」
みたいな話に聞こえるかもしれない。
でも、日本にいた頃を知っている身としては、いまだにちょっと信じられない。
日本にいた頃の息子は、とにかく緊張する子だった
小さい頃から、人見知りが強くて、緊張しやすい。
最初に「あ、この子ちょっと大変かも」と思ったのは、
年長のときの発表会だった。
劇の発表で、息子だけ、泣いて固まってしまった。
セリフが出てこない。その場から動けない。
他の子はみんなできていて、正直、親としては衝撃だった。
ただ、そのあと先生が見せてくれたリハーサルの動画を見て、感動して泣いた。
いっぱいいっぱいになりながらも、必死にうわずる声でセリフを言っていた。
「ああ、できないんじゃなくて、ギリギリなんだな」
そう思った。
HSCという言葉を知って、少し腑に落ちた
調べていく中で、HSC(Highly Sensitive Child)という言葉を知った。
驚くほど当てはまっていた。
だからといって、問題が解決するわけじゃない。
でも「この子はこういう特性なんだ」
と分かっただけで、気持ちは少し楽になった。
実際、対応方法がわかり気が楽になった。
個性のひとつだと思えばいい。
小学校に入ってからは、毎朝が勝負だった
小学校に入ってからも、状況は大きく変わらなかった。
毎朝、「行きたくない」
これを言わずに登校できた日は、一日もなかった。
親のどちらかが、教室まで連れて行って、先生に引き渡す。
1年生も、2年生も、インドネシアに来るまではずっとそれ。
休まず通えてはいた。でも、常にギリギリ。
運動会でも、人に見られる場面になると固まる。
見ている親としては、「苦しいんだろうな」と分かる。
だからずっと考えていた。
このまま無理をさせて、どこかで爆発しないだろうか。
普通の学校生活を、早めに諦めて、
オルタナティブスクールなどを探した方がいいんじゃないか。
でも、なんとか通えていたから、事態が改善することをただただ願ってこの生活を続けていた。
今の学校は、息子自身が選んだ
海外行きが決まったとき、
正直、学校のことが、息子のことが、一番心配だった。
だから、日本人学校も、インターナショナルスクールも、いくつか見て回って、
最終的には、「ここなら、まだ通えそう」という基準で、息子自身に選んでもらうことにした。
責任感のある子だから、自分で選んだなら、
少しは前向きに行けるかもしれない。
そんな期待もあった。
最初の日だけは、やっぱり泣いた
初日は、やっぱり「行きたくない」。
泣いて、先生に引き渡した。
でも学校側は、最初から理解してくれていた。
「センシティブな子ですよね。馴染むまで時間がかかるのは分かっています。任せてください」
しかも「親は教室まで来なくて大丈夫です」と言われた。
不安だったが、頼もしくもあった。
そして、2日目から何かが変わった
驚いたのは、2日目。
息子は、アパートから一人でバスに乗って登校した。
それ以降、「行きたくない」と言わなくなった。
日本では毎朝言っていたのに。
こっちは覚悟していたのに、
拍子抜けするほど、問題なく通い始めた。
なんでだろう、と何度も考えた。
頑張らなくていい環境、だったのかもしれない
理由は分からない。
でも、たぶん「頑張らなくていい」
空気だったんだと思う。
みんな違って当たり前。
文化も言語もバラバラ。
できなくて当たり前。
完璧さを求められない。
その中で、「自分はここにいていい」と思えたのかもしれない。
英語は話せない。でも、楽しそう
ちなみに、英語は話せない。
半年経つけど、授業内容もほとんど分かっていないらしい。
本人も「先生が何言ってるか、全然わからない」と笑っている。
それでも、学校生活は楽しそうだ。
イベントになると、相変わらず固まる。
ダンスコンサートでは、一人だけ棒立ち。
でも、周りが自由すぎて、あまり目立たない。
これも、合っている環境なんだと思う。
環境が変われば、変わることもある
この話を書いたのは、思い出として残したかったのもある。
10年後20年後に見て、育児大変だったなあと思うために。
でも、同じように悩んでいる親がいたら、伝えたいこともある。
海外に行けば解決、ではない。
インターに行けば全てうまくいく、でもない。
でも、環境を変えることで、道が開けることはある。
公立小学校だけが、選択肢じゃない。
何やってもダメ、じゃなくて、
「合っていないだけ」ということもある。
今回は、それを息子が教えてくれた気がする。
今は、毎日学校に行けている。
それだけで、十分だと思っている。