ジャカルタ、想像以上にクリスマスである
ジャカルタは今、完全にクリスマス前モードである。
街は暑い。とにかく暑い。
気温も湿度も、クリスマス感はゼロだ。
それなのに、モールに入ると一気にクリスマスである。
巨大なツリー、赤と緑の装飾、陽気な音楽。
「え、日本と同じでは?」と思うほどだ。
ただ、ひとつ引っかかった。
なぜ、こんなに堂々とクリスマスを祝っているのだろう。

日本と同じ…ではなかった
最初は、日本と同じようなものだと思った。
日本も、仏教国と言われつつ、
クリスマスは商業イベントとして全力で盛り上がる。
「楽しいからやる」
それで十分成立しているのだ。
しかし調べてみると、背景が少し違った。
宗教多元国家であり、
複数の宗教を公式に認めている。
その結果、
すべての宗教の祝日が国の祝日になる。
クリスマスも、当然のように祝日だ。
多数派だから祝うのではなく、
多様性を尊重するから祝う。
この構造は、日本の「盛り上がったもん勝ち」とは少し違う。
いい国だな、と思った。
宗教欄に書くものが、わからない
そんなことを考えていたら、
自分の宗教観についても気になってきた。
インドネシアでは、
申込書や登録書類に 「宗教」欄がある。
これは世界では珍しいことではないらしい。
つまり、宗教は、人格の一部、アイデンティティの一部として扱われている。
一人一宗教が前提。
無宗教という私の概念は、むしろ特殊なのだ。
このとき、「無宗教です」と言う自分が、少しだけ異質に思えた。
本当に、私は無宗教なのか
では私は、本当に無宗教なのだろうか。
初詣には行く。
七五三もする。
お墓参りもする。
葬儀では手を合わせる。
クリスマスは楽しむ。
神社でも仏壇でも手を合わせるが、念仏は唱えられない。
意味もよく知らない。
信じているかと言われると、よくわからない。
実践しているかと言われると、たぶんしていない。
敬意だけ払って、
中身はあまり理解していない。
困ったときだけは、「神様、仏様、どうか助けてください」と元も子もないことを言う。
八方美人すぎて神々に失礼だ。敬意も払えていないのだろうか…。
これは無宗教なのか。
それとも、かなり薄い宗教なのか。
自分でも答えが出ない。
ちょっと考えてみただけ
宗教や政治の話は、
SNSでは語らないほうが無難だと思っている。
でも、誰かを批判したわけでも、
立場を表明したいわけでもないので許してほしい。
ただ、
「自分は何者なのか」
という感覚を整理したくなっただけだ。
日本にいたら、こんなことは考えなかったと思う。
インドネシアに来てよかった。
自分の宗派はわからないままだが、他人の多様性の理解がまた進んだ。
結論は出ないまま、クリスマスは楽しむ
結局、宗教欄に何を書くか問題は、まだ保留中である。
無宗教と言っていいのか。
お墓参りをするから仏教と言っていいのか。
もう少し悩んでおこうと思う。
ただひとつ確かなのは、
イベントとしてのクリスマスは、楽しんでいいということだ。
子どもたちと飾り付けをするかどうか、ツリーを買うかどうか。
今はこちらが喫緊の問題だ。
どうせそのうち日本に帰るし、もったいない気もする。
でも、ツリーが家にあった方が盛り上がるのは間違いない。
さて、どうしよう。