駐在主夫ですが、なにか? in Jakarta

ジャカルタで主夫してます。日々のことをゆるく記録中。 生活の中で気づいたことや、役立ったことをメモ代わりに。

ジャカルタでゴルフデビュー。おしゃれな打ちっぱなしで「おじさん」に癒やされた日

ジャカルタに来て、まさかのゴルフを始めることになった話の続きである。

前回、ゴルフクラブ一式をもらい、練習に誘われた。
そして、ジャカルタゴルフアカデミーでトライアルレッスンを受けたところまで書いた。

今回は、いよいよ「打ちっぱなし」デビューである。
結論から言うと、おじさんと酒を飲みながらボールを打つ時間は楽しかった。

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ジャカルタの打ちっぱなしは「大人の遊び場」だった

連れて行ってもらったのは、「アルジュナ(Club de Arjuna)」という打ちっぱなし場。 比較的新しいのか、施設はものすごく綺麗だった。

他の打ちっぱなしに行ったことがないので、比較はできない。
だが、ここの凄さは初心者の私でもわかった。

各ブースに、どでかいソファーが鎮座しているのだ。

そこでピザやフィッシュ&チップスをつまみ、おしゃべりをする。
すごくおしゃれで、写真映えするような「ビールを使ったカクテル」まで出てくる。
それを飲みながら、順番に球を打つ。

これが、ゴルフか。
(どーん)

テニスやサッカーとは根本的に何かが違う。
汗水垂らして走り回るのではなく、優雅に飲み食いしながら合間にスポーツをする。
完全に「大人の遊び」である。

 


ライジングインパクトはまだ打てない

肝心のゴルフ自体はどうだったか。

全てをかけたトライアルレッスンを思い出し、打ってみた。
結果、意外とよく当たってよく飛んだ。

長年テニスをやっているからか、球を捉える感覚みたいなものはあるのかもしれない。 センスがある、とまでは言わない。
打つ瞬間、クラブに球が当たる瞬間の光(ライジングインパクト)なんてもちろん見えない。
(漫画の知識ばかりや、、)
ただ、アイアンで100メートルくらいは飛んでいってくれた。

純粋に、楽しかった。

初心者なので、今回は7番や5番アイアンで「前に飛ばす」ことだけをやった。
ドライバーでかっ飛ばす快感も、コースを回る楽しみも、まだ全然わかっていない。
それでも、お酒を飲みながらこんなことができるのは、なかなか最高だなと思った。


禁酒ルールの都合の良い解釈

ここで、私のブログの読者なら一つの疑問を抱くかもしれない。 「あれ、お前『禁酒』してなかったっけ?」と。

説明しよう。 私は禁酒をやめたわけではない。

私の禁酒の最大の目的は、「家で日中から一人で飲んで、キッチンドランカーにならないこと」だ。
だから、人付き合いや外食の場では全然飲む。
そういうスタンスは崩していない。

ということで、この日も堂々とカクテルを飲んだ。
飲みながらやるスポーツは、文句なしに楽しい。


結論:一度は「コース」に出てから決めたい

とはいえ、まだゴルフを本格的に始めるか決められない。
大気汚染が気になるジャカルタで室内パデルに興味がある。

だから、もう少しだけやってみて、続けるかどうかを決めたい。

少なくとも、一度は実際の「コース」を回ってみたい。
せっかく立派なクラブをもらったのだ。
あの広大なグリーンの上で一喜一憂し、その後に待つであろう「本当のゴルフの楽しさ(あるいは絶望)」を味わってから、答えを出したい。

とりあえず、もう一回くらいは一人で打ちっぱなしに行って、このスポーツと向き合ってみようと思う。

ということで、ゴルフの話はまだ続く予定だが、このまま終わるかもしれない。。。

海外で全てを手に入れた男の到達点は、ラフテルではなく「アリ地獄」だった

駐在主夫生活も、1年経っていないとはいえ、だいぶ長くなってきた。

私は妻の海外赴任に同行している。
いずれ日本に帰れば働くのだが、現在は「無職」。
働かずに、海外で暮らしている状態だ。

端から見れば、私の今の状況はこうだろう。
「働かずに海外でダラダラしている、夢のような生活」

もっと言おう。 現在の住まいはタワマンの27階である。高層階といっていいだろう。

窓からは素晴らしい展望が広がる。
エレベーターを降りれば、そこにはプールがあり、ジムがある。
そして何より、「働いていない」

海外特有の無駄に広い部屋で、日中を1人で過ごす。
これだけを聞くと、圧倒的な勝ち組だ。
「全てを手に入れた男」と言っていい。


優雅な駐在主夫の、優雅ではない現実

もちろん、現実は少し違う。
いや、だいぶ違うかもしれない。

朝は4時前に起きる。
子供たちのお弁当を作り、身支度を手伝い、家族全員の朝ごはんを作る。
子供の送り迎えをして、妻を仕事へ送り出す。

ちょっと一息ついて買い物に出かけ、お昼は昨晩の残り物をかきこむ。
掃除、洗濯、洗い物、そして晩御飯の仕込み。
これらを子供が帰宅するまでに全部終わらせる必要がある。

我が家には、多くの駐在員が雇っている「お手伝いさん」はいない。 車もない。お抱えのドライバーもいない。 移動のたびにタクシーを呼んでいる。

これらの「現実」を除けば、羨ましい生活なのかもしれない。
「除く現実」がデカすぎる気もするが、あまり深くは考えない。

それでも日本でフルタイム共働きをしていた日々を地獄と呼んでいいならば、やはり今は楽なのだろう。共働きの時は、今やっていることは変わらずに、さらに仕事が加わっていたのだから。 

だから、私はやはり「全てを手に入れた男」なのだ。
タワマンの高層階に住み、働きもせず、一人で過ごす。

最高と言っていい。


全てを手に入れた男が、日中やっていること

では、そんな夢のような環境で、私は一体何をやっているのか。

結論を言う。

部屋の至る所から出てくるアリを、ひたすら潰している。

これが私の日常だ。

タワマンの27階だぞ。 なぜ、アリが出てくるんだ。

少しは空気を読んでほしい。
こんな高層階に、小さなアリが列を作って歩いているべきではない。 おとなしく公園の空き地で過ごしてほしい。
それがアリの本来の姿だろう。

ゴキブリでさえ、空気は読んでいる。
「さすがに27階はマズイっすよね」と遠慮しているのか、一度も見ない。
なのに、アリの奴らはなぜかちまちまと、ちょこちょこと出てくる。

なぜ、全てを手に入れたはずの男が、 誰もいない日中に、 広いリビングの床に這いつくばって、ひたすらアリを探しているのか。

自分でも何を言っているのかわからないが、事実だから仕方がない。


駆逐してやる。一匹残らず

私は過去に他の途上国にも住んでいたことがある。
だから、部屋にアリがいること自体は、別に気にならない。
私一人なら、共存の道を選んだだろう。

しかし、子供たちはそうはいかない。
特に娘は、どんなに小さなアリでも見つけるたびに悲鳴を上げる。

私は娘がアリを見つける前に始末しなければならない。

「駆逐してやる」

一匹残らず、この部屋から駆逐してやる。

アリの数を減らし、出てくる場所を見つけ、そこを埋める。 だいぶ埋め尽くして、ほとんどいなくはなった。

それでも、やっぱりどっからともなく数匹が姿を現す。
そんな時の最終兵器が「アリメツ」だ。

本帰国する駐在員からいくつも譲り受けた、謎の液体。
これを垂らすと、アリが来なくなるらしい。

本帰国する駐在員から受け継がれるのが、家具家電ではなく、「アリメツ」
ジャカルタのリアルがここにある。


結論:到達点はアリ地獄だった

毎日、毎日、床に這いつくばる。 アリを探し、潰し、穴を見つけては塞ぐ。

エレガントな駐在主夫の姿は、そこにはない。 

とにかく、これだけは言える。

タワマンの27階に住み、働かず、優雅な時間を手に入れた男。 そんな男の最終ゴールは、ひとつなぎ大秘宝(ワンピース)ではなかった。

ただの、「アリ地獄」だった。

これからも、こんなクソみないな主夫生活をありのまま書いていきたいと思う。

アリだけに。
(おっと、静寂を生んでしまったな)

 

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ジャカルタのディズニー・オン・アイスは快適だった。ただし、日本のお菓子は入口で没収される

先日、平日のチケットが安くなっているという理由だけで衝動買いした「ディズニー・オン・アイス」に行ってきた。

結論から言う。
大人はかなり楽しめた。
子どもたちも、それなりに満喫していた。
そして、仕事帰りに合流した妻は、入口で絶望を味わうことになった。

 

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ジャカルタのイベントに対する3つの懸念

ジャカルタでこういうショーに行くにあたり、私にはいくつかの心配事があった。

  1. 夕方からの公演で、子どもたちが眠くならないか

  2. ジャカルタ特有の「鼓膜を破りにくる爆音」ではないか

  3. 今回取った「ゴールドシート」で、果たしてちゃんと見えるのか

結果的に、これらはすべて杞憂に終わった。

まず、一番心配していた音量。
大音量で耳を塞ぐ準備をしていたが、驚くほどちょうどよかった。
常識的なボリュームだった。ジャカルタもやればできるじゃないか。

そして座席である。

ゴールドシートの範囲内からでも、全体がよく見えて十分楽しめた。
念のため、もしもの時に備えてトコペディア(現地のネット通販)でわざわざ双眼鏡を買っておいたのだが、全く出番はなかった。
完全に無駄な出費となったが、見えなかった時のリスクヘッジだと思えば安いものか?
いや、無駄な出費だったな。反省。

強いて言うなら、もう一つ良い席(高い席)でも、より臨場感は出たかもしれない。
まあ離脱する可能性のある幼児を連れているなら、ゴールドくらいの端っこの席がちょうど良い気がする。


衝撃の事実と、4歳児の正直すぎる感想

ショー自体は非常に楽しかった。
ネタバレになるので詳しくは書かないが、「人間がプリンセスの格好をして滑る」というレベルを超え、「え、そんな大掛かりなものまで氷の上に出しちゃうの?」という演出もあり、見応え十分だった。

全編英語だったが、フィギュアスケートとダンスがメインなので、言葉が分からなくても子どもたちは感覚で楽しめていた。

ここで、一つどうでもいい事実を告白しておく。
このブログで私の姿を見せたことは一度もないが、こう見えて私は、幼少期に「フィギュアスケート」を習っていた主夫なのだ。 (自分でもなぜそんな優雅な習い事をしていたのかはよく分からない。
一言で言うならば、「そこにスケートリングがあったから」だ。)。

だからこそ、あの氷の上で踊り狂うことの大変さ、難しさ、そして凄さは分かる。

しかし、4歳の娘は違った。
私がスケーターたちの技術に唸っている横で、彼女はポツリとこう呟いた。

「もう終わりでもいいけど」

……おい。 まだ中盤だぞ。

知らない映画のパートが続いたため、少し飽きてしまったらしい。
それでも、クライマックスにかけて有名な人気作品のパフォーマンスが続くと息を吹き返し、結局1回も席を立つことなく最後まで見切った。
懸念点の1つだったが、4歳児でも最後まで見れたのだから、ディズニーの魔法とスケーターの魅力は本物なのだろう。


グッズ売場の罠と、激甘な父親

こういうショーには、必ず「罠」が仕掛けられている。

1時間半のショーの間に、15分ほどの休憩時間があった。
子どもにとってはありがたい配慮だが、親の財布にとっては試練の時間である。

会場内では売り子さんがポップコーンを売り歩き、会場外にはグッズ売場がある。
子どもたちは、当然のように「あれ欲しい」と言い出す。

私は、激甘な父親である。
まんまとポップコーンを買わされ、家族全員でむさぼり食った。

しかし、グッズ売場にある「ただ光るだけのおもちゃ」だけは、さすがに回避した。
あんなもの毎回買っていてはキリがない。

「それはやめとこう」と説得すると、意外にも子どもたちはすんなり引き下がった。
代わりに、プリンセスのドレスの形をした大きなクッキーを買った。

あっさり我慢できた子ども達に感心したが、よくよく考えるとクッキー買ってしまっているので、結局は親の負けだったか。


入口の荷物チェックにご用心。妻の悲劇

最後に、これからジャカルタのイベントに行く人に一つだけ注意喚起をしておきたい。 「荷物チェック」である。

どうやら、会場内には食べ物やお菓子の持ち込みが一切禁止されていたらしい。
仕事帰りに直接会場へ向かった妻が、このルールの犠牲となった。

金曜日の夜。
妻は、日本からの出張者にもらったばかりの「めちゃくちゃ美味しそうな日本のお菓子」をカバンに詰めていた。
家に帰ってから家族で食べようと、ウキウキで持ち帰ってきたのだ。
カバンの一番上に、そのお菓子たちを乗せて。

入口の荷物検査。 カバンを開けた瞬間、見事な日本のお菓子コレクションがセキュリティの目に留まった。

結果、全没収である。

妻はひどくショックを受けていた。
「もうちょっとカバンの底の方に隠しておけばよかった……」と悔やんでいた。

それにしても、未開封のお菓子まで容赦なく没収するとは。
あの美味しそうな日本のお菓子たちは、ショーの終演後、きっとセキュリティガードたちが美味しく食べたのだろう。

皆様も、手荷物にはくれぐれもご注意を。


結論:来年はどうするか

ジャカルタでのディズニー・オン・アイス。
大人は十分に楽しめたし、息子も満足そうだった。
娘は「最高!」とまではいかなかったかもしれないが、怖がることもなく最後まで楽しめた。

私個人としては、「まあ1回見たら十分かな」という気もしている。
しかし、来年も子どもたちが「行きたい」と言うのであれば、もう一度足を運んでもいいと思えるくらいには、良い体験だった。

ただし来年は、絶対にカバンの中にお菓子を入れない。
それだけは覚えておこう。

 

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ジャカルタの誕生日で「名入りテーブル」をもらって絶望した話

 

ジャカルタに来て、驚いたことがある。

それはジャカルタの誕生日は「祝われる日」ではなく、「周りに配る日」であるってこと。

日本では、誕生日の主役はプレゼントをもらい、ケーキを食べ、気持ちよくチヤホヤされるものだと思っていた。 しかし、こちらでは完全に逆だ。 誕生日の本人が、クラスメイト全員にプレゼントを配って歩くのである。

まあ、ジャカルタに限らず海外あるあるなのかもしれない。 だが、その「配るもの」のスケールと執念が、私の理解を少し超えていた。


家が給水所になる日

子どもたちがクラスメイトから「逆プレゼント」をもらって帰ってくるたび、私は震える。 「これ、全員分準備するの、親はだいぶしんどくないか」と。

粘土、お絵かきセット、文房具。 そして、お菓子。 お菓子ならいい。食べてしまえば消えるから。 (実際には、絶妙に口に合わない海外特有の甘すぎるお菓子が棚を一つ占拠しているので、全く消えてはいないのだが)

問題は、消えないモノたちである。 まず、水筒。 なぜか異常にもらう。 タンブラー型、ストロー付き、キャラクターもの。 ただ、どれも絶妙に「惜しい」。 魔法瓶じゃない。肩紐がない。耐久性が怪しい。そして無駄にデカい。

だが、一応使えるから捨てにくい。捨てたら確実に子どもたちに怒られる。 結果、気づけば我が家は給水所くらい水筒が並んでいる。

次に、弁当箱。 これもまたデカい。 幕の内弁当でも詰める気か、という大人サイズだ。 うちの子たちはそんなに食べない。私だって無理だ。一度も使っていない。 なのに、また増える。需要と供給が完全にバグっている。


ボストンバッグ、そして「テーブル」

さらにエスカレートしていく。 ある日、立派なボストンバッグをもらってきた。 ご丁寧に、誕生日の主役の子の名前が刻まれている。 そしてなぜか、うちの息子の名前のイニシャルがロゴになり、息子の名前までガッツリ刺繍されていた。 使えなくもないが、、、今のところはちょっと間に合っている。

そして極めつけ。 息子が「テーブル」をもらってきた。

……テーブル? 折りたたみの木製テーブルである。 そこには「〇〇くん 8歳の誕生日」と堂々と刻まれていた。

私にとっては、見るたびに「いや、あんた誰やねん」としかならない。 なのに、毎日リビングで視界に入る。 しかも、これまたご丁寧にうちの息子の名前まで個別に刻印されているのだ。

クラス全員分、それぞれ名前入りの木製テーブルを特注して配る。 規模がおかしい。親の気合いと財力が恐ろしい。


圧倒的敗北感を味わう誕生日パーティー

配るだけではない。パーティー自体もおかしい。 先日、娘が誕生日パーティーに招待された。 会場は、キッザニア(一部貸切)である。 他にも「Lollipops Playland & Cafe」などのプレイグラウンドを貸し切るパターンもあるらしい。スケールがバグっている。

さすがに手ぶらはマズイと思い、私もプレゼントを用意した。 普通のやつだ。 日本の常識に照らし合わせた、「まあ、こんなもんだろう」という真っ当なやつである。

結果、完全に上回られた。 渡したプレゼント以上のものが、豪華なセット(ぬいぐるみやお菓子など)となって返ってきたのだ。 「うち、これでよかったのか?」 不本意にも、謎の敗北感と恥ずかしさを味わうことになった。

娘は大喜びだった。 兄の誕生日にもらったばかりの「卵から生まれるぬいぐるみ」と同じシリーズが増え、我が家はまたしてもぬいぐるみで溢れかえっている。


結論:来年のことは考えたくない

で、自分たちはどうするのか。 今回、うちは「何もしない」という選択をした。 子どもたちが「注目されたくない」と言ったからだ。 (とても分かる。私も完全にそっち側の人間だ)。

かつ、幸いなことに2人とも誕生日が休日と被っていた。 だからセーフ。見事に逃げ切った。

ただ、来年も逃げ切れる保証はない。 その時、一体何を配ればいいのか。 結婚式の引き出物のように、専用の業者がいるのだろう。 こういう準備を楽しめる親はいいが、私はたぶん楽しめない。ただただ面倒くさい。

ジャカルタの誕生日は、もらう日ではなく、配る日である。 そしてその結果、家にモノが異常に増える。

こちらサイドは、どうか、お菓子の詰め合わせだけで許してほしい。 何もしない可能性すら高いとも言っておく。

 

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ジャカルタの激安コーヒー市場「パサールサンタ」で、私が完全に敗北した理由

駐在主夫生活において、日々の買い出しの「最適解」を見つけることは至上命題である。

先日、数少ないママ友から有益な情報を得た。 「コーヒー豆を買うなら、パサールサンタ(Pasar Santa)がいいですよ。安くて種類が豊富だから」

私と妻は、毎朝必ずコーヒーを飲む。 なので、もし安く買えるならそれに越したことはない。 ということで、期待を胸にローカル市場「パサールサンタ」へ足を運んでみた。

結論から言う。
私にとって、パサールサンタはコーヒー問題の解決策にはならなかった。


パサールサンタのコーヒーシステムは独特

パサールサンタ[場所リンク]は、いわゆる「ザ・ローカル市場」である。 野菜やら何やらが売っているカオスな空間の一角に、やたらと広いコーヒー豆売り場があった。

数十種類もの豆が瓶に入って並び、量り売りされている。 買い方はこうだ。

  1. 欲しい豆のラベルを写真に撮る

  2. 店員に「何グラム欲しい」と伝え、紙を書いてもらう

  3. 別のレジに行って、その紙を見せてお金を払う(QRISも使えた)

  4. 支払い証明を持って戻る

  5. その場で豆を挽いてもらい、袋に入れて受け取る

少し手間だが、ローカル感があって嫌いじゃない。 そして、確かに安かった。

ざっくりとした計算だが、その辺のスーパーで250グラム1000円の豆が、ここなら500グラム1000円で買える。 つまり、半額である。 圧倒的なコストパフォーマンス。素晴らしい。

だが、私はある重大な事実に気づいてしまった。


交通費という足枷

私は車を持っていない。 移動は常にタクシーだ。

スーパーなら、日々の食材の買い出しの「ついで」にコーヒー豆を買える。 しかし、パサールサンタにはコーヒー豆以外に私が買うものはない。 つまり、コーヒー豆のためだけにタクシーで往復することになる。

パサールサンタまでの往復タクシー代。 こちらもざっくり1000円としよう。

もうお分かりだろう。

コーヒー豆で1000円浮かせた。 タクシー代で1000円払った。

プラマイゼロである。 いや、わざわざ市場まで足を運んだ「時間」と「労力」を考慮すれば、完全にマイナスだ。 時は金なり。私はジャカルタの渋滞の中で、貴重な主夫の自由時間を捨てることになるのだ。


「まとめ買いすればいい」という正論への反論

「じゃあ、一度に大量に買いだめすればいいじゃないか」 「タクシー代をペイできるくらい買えばお得でしょ」

賢明な読者はそうツッコミを入れるかもしれない。 それは完全に正しい。正論である。ただし私にすら容易に思いつくがな。

ただ、考えてみてほしい。 私と妻が飲むコーヒーは、1日せいぜい1〜2杯だ。 500グラムもあれば、1ヶ月近くは余裕で持つ。

それを大量に買い込んで、どこに置くというのか。 常夏のジャカルタである。風味を保つには冷蔵庫か冷凍庫に入れたい。 ただでさえ常にパンパンな我が家の冷蔵庫を、コーヒー豆で圧迫するのは絶対に嫌だ。

結果、「そんなに大量にいらないから、スーパーでその都度買うのが一番いい」という元も子もない結論に至る。


B級の舌には、スーパーの豆で十分だった

さらに、味の問題もある。

パサールサンタのコーヒーは、確かに美味しかった。 でも、スーパーのコーヒーも普通に美味しいのだ。

何度も書いているが、私の舌はB級である。 「酸味が強い」「苦味が強い」くらいのざっくりとした違いは分かるが、「この豆のフルーティーな香りが〜」なんて語れるほどの繊細な味覚は持ち合わせていない。 極端に酸っぱくなければ、だいたい何でも美味しく飲める。

私にとって大事なのは、「毎朝、確実にカフェインを体内に摂取すること」なのだ。

スーパーにはスーパーで、毎回違う種類の豆が安売りされている。 それを適当に買ってきて、「今日はこれか。まあ美味いな」と消費していく。 私には、これで十分なのだ。


結論:パサールサンタは「本物」のための場所

パサールサンタのコーヒー売り場は、本当に種類が豊富だ。 「いろんな国の、いろんな豆を試したい」 「100グラムずつ買って、ワインのようにテイスティングを楽しみたい」

そういう、コーヒーに対する情熱と探求心がある「本物のコーヒー好き」にとっては、行く価値あるだろう。 ジャカルタに住んでいるなら、ぜひ行くべきだ。

ただ、私のような「カフェインが取れればいい」「冷蔵庫のスペースは守りたい」「タクシー代がもったいない」と考えるケチな主夫が足繁く通う場所ではなかった。

自分の現在地を思い知る。 

明日も私は、近所のスーパーで適当に買ったコーヒーをすする。

酸っぱすぎなければ、それでいいじゃないか。

食洗機は「探す」ものではない。ジャカルタ食洗機補完計画、究極の真理へ。

ジャカルタ食洗機補完計画。

まだ終わっていない。

あの「人類補完計画」並みにしぶとく、そして密かに進行している。

結論から言うと、私は今、猛烈に葛藤している。 そして、最終的に一つの真理にたどり着いた。

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奇跡のボッシュとの遭遇

ジャカルタのアパートに食洗機を導入する。

言葉にすれば簡単だが、ここはインドネシアだ。

これまでの部屋探しではずっと、大家から「食洗機の設置? 無理。」とあっさり却下され続け、この街で食洗機が絶望的にメジャーではないことを思い知らされた。

しかし、私は諦めきれない。 私から食洗機を奪うことは、酸素を奪うことに等しい。 逆を言えば、食洗機さえあれば他に何もいらない。
(過言が過ぎる。。)

そんな中、アパート探しを続けていた私に奇跡が起きた。 案内された、綺麗にリノベーションされた一部屋。 そのキッチンに一際輝きを放っているプレートが見えた。

BOSCH?ボッシュだと? 
巨大なビルトイン食洗機。 しかも「BOSCH(ボッシュ)」である。 日本の我が家で愛用していたミーレと双璧をなす、あのドイツの巨頭ボッシュが、初めから備え付けられていたのだ。

「ここだ。私の安住の地はここにあったのだ」 私の心は決まった。もうここ一択だ。ここに住みたい。


家族の住環境 vs 巨大食洗機

しかし、私はただの単身赴任のおじさんではない。 家族を連れた「駐在主夫」である。

家選びの優先順位において、家族の利便性、住みやすさ、周辺環境、通勤通学のアクセスは絶対だ。 私の個人的な要望である「食洗機」や「テニスコートの有無」なんてものは、本来二の次、三の次なのだ。

家族の生活を犠牲にしてまで、ボッシュを選ぶのか。 実はこの部屋、いくつかの要因で「住環境的にどうしても妥協したくない点」があった。

天秤が揺れる。 「住環境」と「ボッシュの食洗機」が、私の脳内で完全に釣り合ってしまっている。 家族より食洗機を優先しようとしている主夫。ダメだろ。

だが、それくらい私にとって食洗機は魅力的なのだ。 「ジャカルタにも、普通に食洗機付きの部屋が存在した」という驚きも相まって、冷静な判断力を失いかけていた。


全てを無に帰す、ひとつの真理

「そんなに食洗機が必要なら、少しくらい住環境を妥協してボッシュの部屋にすればいいじゃないか」 そう思うかもしれない。

だが、違うのだ。

私は思い出した。 前回、私は何と言っていたか。 「ジャカルタの大家が工事してくれないなら、自分でDIYして無理やり大型の据え置き食洗機を設置してやる」

そう、私はすでに「自力で食洗機をつける覚悟」を決めていたのだ。

ということは、だ。 「住環境や条件が全て完璧だが、食洗機がない部屋」を見つけた場合、そっちを選んでも全く問題ないのだ。 なぜなら、私が自分でつけるから。

いつの間にか目的と手段が入れ替わりかけていた。 私のジャカルタ生活において、「食洗機を導入すること」は必須である。 しかし、「食洗機が最初からある部屋を見つけること」は、全く必須ではない。

いざとなったら、自分でつける。 つけてみせるのだ。


結論:食洗機は「探す」ものではない、「創る」ものだ

今回、ジャカルタにもボッシュの立派な食洗機がビルトインされた部屋が存在する、という歴史的発見をした。 心が揺れたのは事実だ。

しかし、最終的にこのボッシュの部屋にするかどうかはわからない。 どんな部屋を選ぼうとも、私は己の力で食洗機をねじ込むからだ。

環境に食洗機を求めるのではない。 己が食洗機を創り出すのだ。(ちょっと何言ってるかわからない)

さて、ジャカルタ食洗機補完計画は、まだまだ続く。

 

しゅふお。

 

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ジャカルタに来て、まさかのゴルフを始めることになった話


ジャカルタに来て、ゴルフを始めることになった。

自分でも何を言っているのかよくわからない。

昔から私を知っている人がこれを読んだら、

「あんたが?」と思うだろうし、ちょっと落胆するかもしれない。

あれだけ言っていたからだ。

ゴルフなんてしない。

ゴルフなんてもんはスポーツじゃない。

そう言っていた。

その私が、40代になって、ジャカルタで、まさかのゴルフである。

人生は本当にわからない。

 


ゴルフは金持ちのおじさんのスポーツだと思っていた

私の日記を読んでくれている人がいたら、薄々気づいているかもしれないが、私は偏見の塊だ。偏見がかろうじて服着て2足歩行しているに過ぎない。

そんな私はずっと思っていた。

ゴルフは金持ちのスポーツである。

金持ちのおじさんがやるものであり、さらに言えば、商談を成立させるためにやるもの。つまり接待である。

私の中のゴルフ像は、だいたいそんな感じだった。

 

今の若い子なんて、もはやゴルフという言葉すら知らないんじゃないか。

……は、さすがに言い過ぎかもしれない。

でも、私が若い頃ですら、周りでやっているのはおじさんばかりだった。

そして今、その頃のおじさんたちは、もっとおじさんになっている。

なので、ゴルフはそのうちなくなるとすら本気で思っていた。

そんなスポーツに、まさか自分が手を出すとは思っていなかった。

 


きっかけは、ゴルフクラブ一式をもらえることになったから

話は急に現実的になる。

きっかけは単純だった。

ゴルフクラブ一式を、もらえることになった。

 

これが大きかった。

というか、ほぼ全てだった。

私はゴルフをやらなかった理由の一つに、

「最初に道具を揃えるだけで、とんでもなくお金がかかる」

というイメージがあった。

もうその時点でやる気を削がれる。

スポーツというのは、もっとこう、ボール一つで始められるものであってほしい。

 

でも、道具一式がもらえるとなったら話は変わる。

高価な装備が向こうから来るのであれば、じゃあ、あとは打つだけじゃないか。

棒を振って打ってボールを飛ばす。

急にハードルが下がった。

 


主夫生活には、男の知り合いがいない

もう一つ理由がある。

男の知り合いが、いない。

本当にいない。

ママ友はできた。

それはありがたい。

でも、男の人はゼロである。

ジャカルタに来て大人の男と話す機会がゼロ。

なかなかのインパクトではないか。

 

もちろん、一人は好きだ。

子どもと過ごす時間も好きだし、家族だけで十分だと思っている。

でも、それでも時々思う。

やっぱり、外との接点はあった方がいいのかもしれない。

ママ友以外とも、少しは社会とつながっていた方がいいのかもしれない。

そうなった時に、必要になるのは同じおじさんである。

そして、こっちのおじさんたちは、朝の4時とか5時からゴルフを回って、9時には普通に働いているらしい。

異常な気もするが、それに参加すれば、働いていない私でも、働いているおじさんとコミュニケーションが取れるわけである。

 


朝3時に起きて弁当を作れば成立する、か?

じゃあ時間的にどうなのか。

たとえば5時から回るなら、3時に起きる。

弁当を作る。

子どもの着替え、準備をする。

朝ごはんを並べておく。

 

そうすれば、それなりに妻の負担も減るか。

それが月1回とかなら、そこまで無茶ではない……のかもしれない。

 

妻もたぶん、私がずっと家に一人でいることに対して、少し気にしていたのだと思う。

むしろ「やってみたら」と言われた。

そこで、ああ、もうこれはやる流れなのかもしれないと思った。

 


相変わらず、私は何かをもらって生きている

それにしてもである。

昔から、私はやたらともらう。

もらい癖というか、何かと大きいものをもらってしまう人生である。

先輩から大型バイクをもらい、車をもらい、義父からもまた大型バイクをもらった。無料で。無料ほど怖いものはないとわかっているが、怖くても貰えるものはもらう。

そして、ここに来て、まさかゴルフクラブ一式まで来るとは思わなかった。

 

ゴルフバッグを背負う自分を、まだうまく想像できない。

ゴルフバッグを背負っている人を見たら、いつも心の中で「このクソ金持ちめ」と思っていたからである。

その側に、今から自分が行こうとしている。

なかなかの裏切りである。

 


3日後に練習と言われて、慌てて体験レッスンへ

しかもである。

「じゃあ今度練習行こう」と言われたのが、3日後だった。

 

3日後。急すぎる。

いくらなんでもクラブの持ち方くらいは知っておきたい。

せめて、

  • どう握るのか

  • どう立つのか

  • どう振るのか

それくらいは頭に入れておきたい。

「ここを握ってください」から教えてもらうのは、さすがに申し訳ない。

 

ということで、慌ててレッスンを探した。

ジャカルタで。

すると、体験レッスンがあった。

しかも2000円くらい。

安い。

……と思ったが、その後の通常料金を見て震えた。

 

1回1万円以上する。

やっぱり金持ちのスポーツである。

とてもじゃないけど払えない。

だから私は決めた。

この体験レッスンに、全てをかける。

この1回で、ゴルフの基本を全部持って帰る。

この1回で、プロゴルファーになる。わいは猿や!

…そういう気持ちで臨んだ。

 


体験レッスンは、普通に助かった

行ったのはJakarta Golf Academy (ジャカルタゴルフアカデミー)

場所はここ

 

日本人の先生がいて、持ち方から、基本的なフォームまで、丁寧に教えてくれた。

まあ、初心者というか初ゴルフなのだから、教えることもだいたい決まっていて慣れているのだろう。

でも、とても助かった。

「何も知らない」から「とりあえず置いてあるボールは打てるかもしれない」まで、一気に持っていってもらえた。

もちろん、付け焼き刃もいいところである。

付け焼き刃を糊で刀にくっつけただけくらい薄い知識だ。

でも、何もないよりはずっといい。

レッスン代が高すぎるので、今後はもう、このレッスンで頭に入れた知識で、ひたすら打ちっぱなしでしこしこやるしかない。

 


このまま終わる可能性も普通にある

とはいえ、である。

このあと練習に呼ばれて、あまりにも見込みがなかったり、そもそも気に入られなかったりしたら、もう二度と誘ってもらえない可能性もある。

その場合、この話はここで終わる。

「ジャカルタでゴルフ始めました」という日記は、ただの一発屋で終わる。

それはそれでアリかもしれない。

でも今のところは、やる気だけはある。

 


結局、おじさん同士が仲良く遊ぶにはゴルフしか残っていないのかもしれない

最後にちょっと思ったこと。

やっぱり、コネクションは大事である。

偉い人とか、仕事をしている人とか、同年代のおじさんとか。

そういう人たちと、ゆっくり関係を作る。

その手段として、おじさん同士が遊ぶものって、何があるのか。

飲みに行くのもいいけど、そればっかりもしんどい。

そう考えると、確かにゴルフは理にかなっているのかもしれない。

 

まだコースも回ったことがないので、本当にそんなに会話する時間があるのかも知らない。

待ち時間があるとか、移動中に話せるとか、そういう話は聞く。

でも実感はまだない。

わからない。

何もわからないまま、私は今、ゴルフバッグを背負おうとしている。

 


ジャカルタに来て何をやっているんだろう、と思いながら

ということで、ジャカルタに来て、ゴルフを始めることになった。

自分でも思う。

何をやっているんだろう、と。

 

息子にゴルフって何?と聞かれた。

私の今回のゴルフ偏見をありのまま伝えて、「だからおじさんがするスポーツなんじゃない」と締め括った。

じゃあ、なんでパパはゴルフをやるの?と聞かれ、そのシンプルな答えを思いついた瞬間に「なるほどな」とやっとすべてが腑に落ちた。

 

「パパはもうおじさんになったんだよ」

 

そう、だから、ゴルフを始めるんだ。

やっとゴルフができるコンディション、すなわちおじさんになったんだ。

 

この話は続くのだろうか。